Mel Channel

ただ宇宙を想い、運命を愛する

看護師

 

病気を抱えてる人

死が近い人というのは

暗く重たいエネルギーを発してます

 

ということは

エネルギーの法則でいうと

多い方から少ない方へ流れるので

エネルギー消耗が激しく

労力が必要です

 

近年では

手術や抗がん剤放射線治療などの

西洋医学やそれを提供する病院が

「悪」と認識されることも

しばしばあるように感じます

 

何を隠そう

わたしもそうでした

 

苦しみながら亡くなる人

目の前で死ぬほど苦しい姿を見るのは

医療者でも戸惑うもの

 

ベテラン看護師でも

焦る姿を未だに見ます


目の前で

これから亡くなる人が

もがき苦しみながら

自分の腕を握り潰してきても

落ち着いて関われるのは

 

わたしの感覚だと

魂としか言いようがありません

 

宇宙に目覚める前までは

人が紙で指を切っただけで

涙が浮かんでしまうくらい

人情家だったわたしなので

 

決してクールだから

落ち着いて関われるのではないのですな

 

その答えは

生まれてこの方

愛を追求しつづけるうちに

宇宙の愛を思い出したから

 

亡くなる前の人に

「大丈夫」と声をかけるのは

ごまかしだと感じるでしょうか

 

わたしは真実だと思ってます

だって、本当に大丈夫ですから

 

神や御先祖様が

見守ってくれてますから

大丈夫なんですよ

 

本人は大丈夫じゃない

 

そんなことは分かっています

それは患者さんの気持ちですね

 

死ぬほど不安な人の前で

目の前の医療者が

不安がってたら

患者さんはもっと不安になってしまう

 

不安になるほど

患者さんは力が入り呼吸が激しくなり

苦しくなります

 

わたしはわたしの天命に沿って

「大丈夫ですよ」

とやさしく身体に触れながら

深呼吸を促すのです

 

となると

「大丈夫ですよ」

と声をかけられない

価値観の人は

それがその人の真実で

善し悪しではなく

 

結局のところ

医療現場の中でも

「死」に携わる状況は

皆が懸命に

命に向き合っている

尊い現場だと感じます

 

看取りのとき

目の前の患者さんの旅立ちに

天のサポートが存分に届くように

宇宙のエネルギーを下ろします

 

できる治療はもうなくても

できる看護は最後まである

 

がん細胞が増悪し

身体の外に露出してるひと

常識を超える外見の人

 

「大丈夫ですよ」

 

魂が生きてるのですから

最後の時間を

この環境を選んだのですね

 

その時間が

少しでも有意義になりますように

 

旅立ちが

少しでも安寧でありますように

 

祈り、佑る、神聖な場所

 

青いわたしが

こんなこと言ったら

癪かもしれませんが

 

そもそも

病気の人に

人の死に際に関わる仕事ができるのは

徳が高いからだそうです

 

今ではそれが

体感でわかります

 

その人が

3次元でどんな人柄であれ

前世で積んできているものがあるのでしょう

 

以前は

霊障が嫌だ、来るな

と思っていた時期もありますが

 

今思うと

何かを「悪」とする心の正体は

「恐れ」や「損得勘定」だと感じます

 

太陽が出たら晴れるし

雨雲がかかれば雨が振る

 

何ら変わらず

 

病気の人がいれば空気は重たいし

人の死に際には霊障が大きいもの

 

当たり前のことに

恐れもなければ

損をしたくないなんていう

気持ちもわきません

 

こうしてわたしは

看護師になったこと

 

地域貢献すべく

地元の病院に務めたこと

 

国民に貢献すべく

がん専門病院で務めたこと

 

国に貢献すべく

コロナ病棟で働いたこと

 

7年間、看護師として

誇りを持ってやってきました

 

苦しい人に関わる時ほど

使命感を感じるのは

わたしにそれができるから

 

わたしが感じる使命感というのは

静かな祝詞のようなもの

 

神は

その人にできることを体験させる

 

わたしだからできたこと

わたしだから助けられること

 

その必要な運命を

してきたまでなのでしょう

 

なにも悔いはない

なにも恥じてない

 

わたし自身が誇りを持ってるこの生き様

 

運命に立ち向かった結果

 

そしてこの先も

この天命を遣う先が

変化していくだけ

 

この度、わたしは

新たな運命のために

病院を去ることになったけれど

 

わたしは同僚のみなのこともまた

誇りに変わりない。