Mel Channel

ただ宇宙を想い、運命を愛する

やさしさ

 

看取り看護に興味を持ち

転職したわたしは約1年半、

緩和ケア(看取り)に

携わることができましたが、

運命の流れで

現在はコロナ病棟で勤務しています。

 

コロナ病棟の対象患者さんは

看取りの患者さんと比べれば

随分と若かったり、お元気です。

 

わたしは、目の前の運命を

受け入れる生き方をしているので

何も文句はなく

前向きに・・・という表現より

自然に、当たり前に働いています。

(それが運命に前向きということですね)

 

看取りは

めちゃくちゃエネルギー持ってかれるので

わたしの使命とは反した方向性で

エネルギーを使ってしまうため

(身を削られてしまうので)

適切な認識と、自分軸が必要です。

 

なので、今では

死に近い患者さんより

元気な患者さんが良いと思っています

 

けれども久しぶりに

臨死期の患者さんを対応したわたしは

なんの躊躇もなく

患者さんに

「大丈夫だよ」って思いました。

 

自分のエネルギーが持ってかれるとか

普段より祓いが必要だとかは

どうだって良かったのです

 

結局のところ

目の前の運命を受け入れる性なので

なんだって良いんです

なんだって向き合うんです

 

そして

真ん中にあるのは

自分はどうであれ

誰か何かを助けたいという心

 

それをそのまま思ってしまうと

速攻持っていかれるので

胸の中の思いを

冷静に見つめます

 

身を削がれるからといって

胸の思いに嘘はつきません

 

ただ、自らの立場を適切に捉えて

わたしは看護師として

できる事をしますと

自分軸は持っています

 

でないと身を滅ぼし

救えるものも救えないことを教わったから

 

最近、やさしさって

そういうことだと思うんです

 

今までは

弱き者を救うのが優しさだと思い

あえて自分を下げることで

相手と同じステージに立ち、

できることを全てやっていましたが、

 

宇宙の本質に目覚めてから

その生き方では文明は滅びること、

現代では愛の意味が

真逆になっていることを知りました。

 

弱き者に、

弱き自分に合わせる自分中心な生き方ではなく

立場をわきまえて生きること

それぞれが運命を全うすることが

愛だと認識しています

 

わたしでいうと

看取りをするステージは

ほとんど終えたと

自らを認識していても

目の前に臨死期の方が現れたら

なんの躊躇もなく助けたいのです

 

助けるとは

延命をするということではなく

その魂が望むことをサポートするということ

 

自分軸があるけれど

目の前の手が届く範囲に

困っている人がいたら

躊躇なく手を差し伸べるということ

 

それが自然で

本来のやさしさなんじゃかいかと思うのです

 

わたしがやさしいか

やさしくないかなんていうのは

わたしが生きる上で

愛を培っていくのみなので、

周りからの評価はどうでも良いのです

 

ただ、自らの愛のあり方が

より自然になってきたことを

目の前の現象から感じたのです

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